東京地方裁判所 昭和42年(ワ)5967号 判決 1968年2月29日
原告
伊藤秋雄
ほか四名
右訴訟代理人
榊原卓郎
被告
エビス運送株式会社
被告
藤坂隆栄
右訴訟代理人
河野曄二
主文
1 被告らは各自、原告秋雄に対し金五六四、七九九円、原告賢哉に対し金三一九、六六三円、原告嘉也に対し金三一九、六六三円、原告成子に対し金四一九、六六三円、原告けい子に対し金四一九、六六三円および右各金員に対する昭和四二年六月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求は棄却する。
3 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告らの負担とする。
4 この判決は、原告勝訴部分にかぎり、かりに執行することができる。
事実
原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自原告秋雄に対し金一、六三二、一二七円、原告賢哉、同嘉也に対し各金七九四、四四四円、原告成子、同けい子に対し各金九九四、四四四円と、右各金員に対する本訴状送達の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。
<中略>
一、二、<省略>
三、本件事故により、原告らおよび亡たみは次のごとき損害を蒙つた。
(一) 亡たみの損害
(1) 逸失利益一、〇六六、六六六円
亡たみは、大正六年一〇月一八日生れで事故当時四九才の健康な婦人であつたから、厚生省発表の第一〇回生命表によれば、今後二六年の余命があるはずである。同女は主婦として実事に従事していたところ、今後一六年は就労可能であつたから、婦人労働者の平均賃金を基準として、その逸失利益を算定すべきである。そうすると、同女の年間収入は二四万円を下らず、これから年間生活費一二万円差引くと、年間純収入は一二万円となる。したがつて、逸失利益の事故当時一時払の現在価を、ホフマン式計算法により算出すると、金一、〇六六、六六六円となる。
(2) 慰藉料 七〇万円
亡たみは、昭和一五年四月二〇日原告秋雄と結婚し、警察官であつた夫を助け、その余の原告らである子女をもうけて養育し、一家の主柱として二七年間に亘る献身的な努力が報いられ、漸く人生の幸せを迎え、落付いた毎日を送ろうとしていた矢先本件事故に遭遇したものである。事故後死亡に至る四日間は、筆舌につくせぬ劇痛と苦悩にみまわれ、最後の言葉も残し得ぬ状態であつた。同女は夫や子女の将来をおもうとき、その精神的苦痛は計り知れないものがあり、これを金銭に見積ると金七〇万円の慰藉料を支払うのが相当である。
(二) 原告らの損害
(1) 財産的損害<省略>
(2) 精神的損害 三一〇万円
亡たみが、天寿を全うしたならば、子女の生育は勿論、孫にも取囲まれて幸せな生涯を送り得たはずであるが、これをなさしめなかつた夫や子である原告らの精神的苦痛は筆舌に尽しがたい。亡たみの子女である原告らは全部独身であり、特に成子とけい子は、事故当時未成年者で感受性の強い成長期にあり、慈愛深い両親の庇護のもとに良き配偶者を求めなければならない時期に近づいていたところ、母の死亡は悲痛というほかない。よつて原告らの蒙つた苦痛に対する慰藉料は、原告秋雄、成子、けい子につき各七〇万円、原告賢哉、嘉也につき各五〇万円が相当である。
四、原告らは、亡たみの死亡により、同人の前記損害賠償請求権を法定相続分により、原告秋雄がその三分の一である金五八八、八八八円その余の原告らがそれぞれ六分の一である各二九四、四四四円を相続した。
よつて、被告らに対し、原告秋雄は金一、六三二、一二七円、原告賢哉、嘉也はそれぞれ金七九四、四四四円、原告成子、けい子はそれぞれ金九九四、四四四円を、右各金員に対する本訴状送達の翌日から各完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
被告ら訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁および主張として次のとおり述べた。
一、<省略>
二、亡たみは、家庭の主婦として家政をとり子女の教育に当つていたものであるが、主婦としてのこれらの労働は総じて妻として、或は母としての夫、子女に対する愛情に基づく無償の奉仕であり、決してこれによつて経済的な対価を得るものではない。従つて家庭の主婦の労働には収益性が存しないのであるから、その死亡によつて何んら財産上の損害は発生しないものというべきである。のみならず、右の如き収益性のない労働の恩恵に浴したのは、主婦たる者の夫ないし子女であつて、労働の効果は亡たみには帰属していなかつた筈であるから、いずれにしても、同女の死亡によつて同女が損害を蒙つたとする原告の主張は失当である。
三、亡たみは、本件事故当時横断開始以来被告車に衝突されるまでは、ずつと俯向いて歩いていて事故発生に至るまで被告車に気づかず、かつ事故によつて右側頭部、頭蓋骨折等の傷害を受けて、その瞬間から意識不明となり、この状態が死亡まで続いたのであるから、同女自身には原告主張のような精神的な苦痛はなんら存しなかつたのみならず、被害意識すらなかつたはずである。従つて同女には慰藉料請求権は発生しなかつたものである。
かりに慰藉料請求権が発生したとしても、この請求権は、一身専属権であるところ、同女は死亡に至るまでの間意識不明であつて、請求の意思表示をしていないから、原告らがこれを相続することは不能である。
四、かりに主婦の逸失利益を認める立場に立つとしても、原告主張のごとく、亡たみの就労可能年数を六五までの一六年間としたのは、不当に長期すぎる。すなわち、主婦の家事労働は男子の場合と同様に評価するとしても、一般男子でも、定年は満五五才が通常であり、その後の再就職は特異の事例であつて、現時点においては格別の事情がないかぎり、再就職することは確実性において著しく欠けるものであつて、これを逸失利益に算入するのは不当であり、通常は定年までの収入を基礎としているのであるから、主婦の稼働期間を確定するにあたつても、定年の延長を考慮したとして、せいぜい五八才程度を基準とすれば十分であり、これを超えることは却つて男女間の均衡を破ることとなる。のみならず、亡たみについて具体的に考察しても、同女が五八才に達すれば、現在の家族構成からみて、その子女はいずれもその許を離れて結婚し或は妻をめとつている状況にあり、同女の主婦としての仕事の大半は終つているはずである。
五、原告は、亡たみの一ケ月間の生計費を一万円としている。けれども、総理府統計局発行の昭和四一年度の日本統計年鑑によれば、同年度における東京都における勤労者世帯平均一ケ月間の実支出は世帯人員四・〇五人の家庭で七一、八九二円となつており、従つて一人当りの平均生活費は月当り一七、七五〇円となる。
六、亡たみの平均余命が、事故当時からなお二六年あることは、原告ら自身主張するものであるところ、その可働年数が五八才までで十分とすべきことは前述のとおりであるが、それ以後の一七年は、格別の家事をなすことなく、その夫或は子女である原告らの扶養を受けるのが世上一般の常態である。そしてその扶養を要すべき額すなわち生活費は前述のごとく月間平均一七、七五〇円であるから、原告らは、全体として本件事故による亡たみの死亡によつて同人の五九才から七五才までの間における扶養義務を免れたことになる。これから中間利息を差引いて現在価を算出すると、合計一、九三八、三〇〇円となる。これを原告らの相続分に応じて按分すれば、原告秋雄はその三分の一たる六四六、一〇〇円の、その余の原告らはそれぞれ三二三、〇五〇円の扶養義務を免れたものである。ところで、原告らに対しては、固有の慰藉料が認められ、更に若し亡たみの逸失利益および慰藉料に対する賠償請求権の相続が認められるとすれば、これらの損失と前記扶養義務を免れた利益が同一人に帰する結果、当然損害相殺がなされるべきであり、原告らの得べき賠償額からこれを控除せられるべきである。
七、本件事故地点は、信号機のない横断歩道上であつたから、かかる地点を横断する歩行者は、通行する車の有無を確めて横断を開始するは勿論横断開始後も十分に左右の安全を確認すべきである。にもかかわらず、亡たみは横断開始にあたり被告車の存在を見落したのみならず、横断開始後も左右の安全につき何らの注意を払わず俯向いたまま漫然同一速度で歩行を進めたため本件事故に遭遇したものである。一方被告藤坂としては、横断歩道の手前約一五米の地点で横断を始めた亡たみを発見し、急ブレーキをかけるとともにハンドルを右に切つて接触を避けようとしたが、同女が同一歩調で進行し続けたため、惜しくもこれを避け得ず停車寸前に自車の左バックミラーを同女の顔面に衝突させてしまつたのである。この間急制動のスリップ音は当然同女に聞えていた筈であるから、同女がこれを聞きつけて立ち止るだけでも、この事故は避け得たはずである。
本件事故は、被告藤坂に横断歩道にさしかかる際の安全措置を事前にとつていなかつた責任のあることは勿論ながら、被害者発見後は可能なかぎりの措置をとつていたのであつて、被害者の過失は前示のごとく大きいから、賠償額を算定するにあたり斟酌すべきである。<後略>
理由
一請求原因第一項の事実および同第二項中、被告藤坂に過失のあつたことは、当事者間に争いがないから、被告会社は自賠法三条により、被告藤坂は民法七〇九条により、いずれも本件事故に起因し、原告らおよび亡たみに発生した損害の賠償責任がある。
二そこで、右損害の有無およびその額につき判断する。
(一) 亡たみの損害
(1) 財産的損害
亡たみが家庭の主婦として家事に従事していた者であることは、原告秋雄本人尋問の結果によつて認められるところ、被告らは、主婦における家事労働が夫および子女に対する無償の奉仕であつて、経済的な対価を得るものでないから収益性がないのみならず、その労働の価値が夫、子女らに帰属し本人に帰属するものでないから、亡たみの逸失利益はない旨主張している。
なるほど、主婦らの家事労働に対し現実的に対価の支払われないことを通常とするであろうから、家事に従事していた主婦らの死亡によつて、他から得べかりし利益の喪失したことを理由とする損害が存在しないことは所論のとおりであろう。けれども、主婦などの行つている家事労働一般が、経済的に無価値であり、財産的に評価できないと断ずることは相当ではない。
すなわち、炊事、洗濯、育児や衣類寝具などの調整修繕と言つた技術、役務にしろ、或は留守番、客の応待、儀礼、子女の監護教育、財産管理などの家政一般にしても、これと同種の技術、役務ないし仕事に対し、個別的或は一般的(家政婦、管理人など)な形で対価ないし報酬が支払われ、取引の対象となつていることからみても、主婦などの家事労働が財産的に評価できるものであることは明瞭であろう。すなわち、主婦らは、家事労働によつて経済的価値を創造しつつ、その価値の帰属主体となり、これを自ら享受するとともに、夫その他の家族に対し、生活扶助ないし扶養義務の履行として或はその他の理由から、その利益を供与しているものと解するのが相当である。けだし取得した価値の処分が帰属主体の自由な意思に委ねられるべきことは、他から得た利益の処分の場合となんら異ならないのみならず、これを実質的に考察するならば、この家事労働は、家庭内では概ね必須的なものであつて、これを他人に代行させれば当然相当の対価を支払わねばならず、家族共同経済生活体を単位として考えれば、それだけの経済的支出を免れることにより、右生活体における財産の減少を防止している効果は否定できないのである。このようにして、財産の減少を免れた部分が夫婦の共有財産として残存するならば、妻自身の財産として蓄積されることになるであろうし、或は夫名義の財産として残るならば、妻らにそれに対し一種の持分権を持ち、財産分与ないし相続という形で妻などへ実質的な財産の帰属が行われるであろうし、或は娘などであれば嫁資などの分与という形で還元されることは、家族共同生活体における特質上理解できるはずである。
これを要するに、主婦らの家事労働から創られた価値は、まずその労働主体に帰属し、形式的には、主婦自らその価値を享受するとともにその価値の一部は夫その他の家族に享受させ、一見恩恵的ないし無償的奉仕であるかのごとき外観を呈するものの、反面実質的見地から家族共同生活における特質に着眼するならば、その価値が積極財産の減少を防止する機能を営むものであることが理解できるのであつて、主婦などの家事労働による財産的利益の発生と主婦らへの帰属は、これを加害者に対する関係において主張し得るものと解すべく、所論のごとく家事労働の価値の帰属が直接夫や家族であるとして、主婦労働における収益性を否定する見解は採用できず、主婦が死亡により逸失したかかる利益は、他からの得べかりし利益が逸失した場合に準じ、主婦自身が蒙つた損害として、加害者らに賠償されるのが相当である。
以上の観点から考察すると、主婦らの家事労働によつて生ずるであろう利益は、主婦らが将来現実に労働することによつて発生するものであるから、賠償請求権の帰属主体たる被害者において、現実に労働しかつ将来に亘つて労働する可能性があるか、或は現在労働していないならば、将来において労働する可能性すなわち労働能力と労働意思の存在することが最少限度必要であつて、抽象的な労働能が力あるというだけでは逸失利益の存在を認められないことは、人間の肉体が機械などと異つて金銭的に評価できないことによるわけである。同様なことは逸失利益の算定においても妥当すべく、家事従事者の労働能力と労働意思の質と量を基礎とし、これにその属する家庭の生活程度と家族構成およびそこにおける家事従事者の地位を考慮し、勤労女子の平均賃金や家政婦の報酬を参酌して逸失利益額を算出すべきである。そこで、亡たみの逸失利益を算定する。<証拠>によると、亡たみは、大正六年一〇月一八日生れで旧制高等女学校を卒業した後、昭和一五年七月二〇日原告秋雄と結婚して、その間に原告賢哉、嘉也、成子、けい子らをもうけたが、健康で大病したこともなく、事故当時、亡たみは四九才、秋雄は五六才で警察官をしており、賢哉は二六才警察官、嘉也二二才大学生、成子二〇才大学生、けい子一八才高校生であつて、いずれも同居していたこと、原告秋雄の月収は五万円位であり、亡たみは、家事を手まめにやつており、内職により月五千円位の収入があつたこと原告秋雄はすでに定年に近いが、定年後もけい子が結婚するまでは稼働の必要があり、再就職の予定であることなどの事実が認められる。
以上認定の原告らおよび亡たみの生活程度および家族構成並びに亡たみの家事労働の質量と労働意欲更に前示同女の内職収入の実績などに当裁判所に顕著なる家政婦の報酬ないし勤労女子の平均賃金などを総合して勘案すると、亡たみの逸失利益は原告ら主張額の月二万円を下ることがないものと考えられ、その生活費は亡たみらの生活程度からみて、その五割である月額一万円とするのが相当である。被告らは、統計資料に基いて東京都勤労世帯の平均実支出を基準として月額一七、七五〇円の生活費が必要であると主張するが、亡たみの生活程度や家族構成からみて右平均値の採用は妥当でない。
亡たみは、健康で今後平均余命を全うし生存したであろうことは推測するに難くない。原告らは、亡たみが生存していたならば今後一六年間に亘つて月一万円の純収入があるであろうと主張する。けれども、前示亡たみの夫である原告秋雄の職業、家庭環境、家族構成特に子女の婚期などを基礎として勘案すると、亡たみは今後九年余である一一〇ケ月間にわたつて月一万円より少くない純利益をあげ得たものと推認すべく、これを月毎ホフマン式計算法により、年五分の割合による中間利息を差引いてその事故当時における一時払の現在価を求めると金九〇万円(右の計算が、極めて大ざつぱな予測に依拠する点を考えて、万単位未満は切捨てた。以下同じ)が、亡たみの逸失利益となる。なお本件において子女の結婚に従い次第に亡たみの家事労働における質量は変化し、むしろ減少するであろうことは推知するに難くない。けれども、同女の場合余剰労働が内職に向けられるであることも推測されるので、月間少くとも二万円に相当する価値労働が今後九年間にわたつて行われるであろうことは、前示の諸事情からみて誤まりないと考える。
次に、被告らの過失相殺の主張について判断する。<証拠>によると、被告藤坂は、被告車を運転し、時速四〇粁位で本件事故である信号機の設置されていない横断歩道に差しかかつたが、右歩道から五〇米以上手前で横断歩道を確認し、更に二・三〇米手前で右横断歩道付近の左側歩道上に三・四人の女の人が立つているのを発見し、なお前記速度で七米ばかり進行したところで、右横断歩道を左から右へかけ足で横断して行く人を認めるとともに右横断歩道手前に停車している訴外野本吉輝運転のオートバイを認めたのち、なおも進行したところ、約一〇米前方に右横断歩道を左から右へ歩行し初めた亡たみを発見し、急制動をかけたが間に合わず自車左前のバックミラーを亡たみに衝突させたこと、訴外野本は、オートバイを運転し、被告車より少し早く右横断歩道に差しかかつたが、横断しようとする人がいたので歩道手前で停車したところ、亡たみが横断し初め被告車と衝突したことなどの事実が認められ、この認定に反する甲第一六、一七号証における被告藤坂の供述記載部分は前掲各証拠にてらし採用できない。
右認定事実によると、本件事故現場たる横断歩道付近には、横断しようとして待機していた歩行者がおり、先行するオートバイも横断歩道手前で停車したのであるから、被告車の運転者被告藤坂としては横断歩行者の有無および動静を確認し、かつ適宜減速、徐行、停車するなどして事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるところ、これを怠たり漫然時速約四〇粁で進行を続けたため、本件事故を惹起したものであつて、同人の過失は重大といわなければならない。ところで一方被害者亡たみにも被告車の進行状況に対する注意に欠けるところがあつたことは否定できないが、前示認定の状況からみて被告車の運転上の過失と比較して、賠償額を斟酌するに足る程被害者に過失があつたと言うことはできず、この点の被告の主張は採用できない。
(2) 精神的損害
前示認定のごとき、亡たみの家庭環境、事故の状況、原告秋雄本人の供述によつて認められる事故後死亡に至るまでの数日間の入院時における亡たみの肉体的苦痛、漸く子女も成人し安楽な余生を近い将来に迎えた段階で死亡するに至つたため、今後の人生における享楽の利益を喪失した亡たみの心情を考慮するとき、同女の精神的苦痛の重かつ大であつたであろうことは、推知するに難くない。これを金銭に評価するとすれば金六〇万円の慰藉料が相当であると思料する。
被告らは、亡たみが事故と同時に意識を喪失し、そのまま死亡したから精神的苦痛は感じなかつたとし、慰藉料請求権の発生を否定する。けれども、前示のとおり同女において肉体的苦痛を感じたことが認められるのみならず、そもそも慰藉料請求権発生の原因は、ひとり被害者生前の苦痛が存在した場合に限らず、被害者が生存してその後の人生を享楽できなかつた非財産的な損失をも包含するものであるから、被告の右所論は理由がない。
(3) 相続
亡たみの、原告秋雄は配偶者であり、その余の原告らは子であることは、前示のとおりであるから、法定相続分に従い、亡たみに生じた前記(1)、(2)の損害賠償請求権金一五〇万円を、原告秋雄はその三分の一である金五〇万円、その余の原告らはそれぞれ六分の一宛である各金二五万円をそれぞれ相続によつて承継したことは明らかである。被告らは、慰藉料請求権が亡たみの一身専属権であるとして、その相続性を否定するが、所論の採用できない理由は、昭和四二年一一月一日最高裁判所大法廷判決において、説示されたとおりであるから、これを援用する。
(二) 原告らの損害
(1) 財産上の損害<省略>
(2) 精神上の損害
前示亡たみと原告との身分関係、原告らの家庭の状況、本件事故の態様その他諸般の状況から勘案して、原告秋雄の慰藉料は金五〇万円、原告賢哉、原告嘉也のそれは各金三〇万円宛、原告成子、原告けい子のそれは各金四〇万円宛が相当であると思料する。
三そうすると、被告らは各自、原告秋雄に対し、右損害額合計金一、〇二五、四七四円、原告賢哉、同嘉也に対し各金五五万円、原告成子、同けい子に対し各金六五万円の支払義務があるところ、原告秋雄本人尋問の結果によれば、被告らの主張するとおり、原告らは自動車損害賠償保障法による責任保険より、損害賠償額の支払として合計金一、三八二、〇二五円の給付を受けていることが認められる。充当関係につき原告らは明らかに争つていないのでこれを被告ら主張のとおり、原告らの相続分に応じ賠償額に充当すべきである。すると、原告秋雄につき金四六〇、六七五円、その余の原告らにつき各二三〇、三三七円宛弁済されたことになるから、賠償すべき残額は、原告秋雄につき金五六四、七九九円、賢哉、嘉也につき各金三一九、六六三円、成子、けい子につき各金四一九、六六三円となる。
四被告らは、原告らが、亡たみの死亡により、同女の稼働期間経過後死亡したであろう時までの間、同女の生活費を負担すべき扶養義務を免れたことになるから、同女の右期間における生活相当額を利得しているとし、その本件事故時における現在価を原告らの相続分に従つて按分した金額を、損益相殺の法理に基き、原告らの取得すべき賠償額から控除すべきであると主張している。
ところで、損益相殺とは、損害発生の原因が同時に被害者に利益をもたらしている場合において、右原因と相当因果関係の範囲内にある利益を損害から控除するという法理であつて、例えば、生命侵害により被害者が得べかりし利益を喪失したが、反面生活費などのごとき利益取得のため直接必要な費用の支出を免れた場合などのように、その具体的損害発生に直接関連しかつその損害の範囲に照応して発生した利得があるとき、これを控除して真の損害額を算定しようとする法技術である。ところが、稼働可能期間経過後において被害者の生活費を負担すべき扶養義務を免れた利益と右扶養義務者が蒙つた損害ないし相続により取得した損害賠償請求権との間には、右のような直接の関連性がないばかりでなく、逸失利益発生の限界を画する稼働可能期間経過後といえども被害者が全く無収入とは言えず、又第三者による扶養もあり得るから、右扶養義務の負担が不確実であつて不法行為によつてこれを免れたものと断ずることは困難である。従つて、いずれにしても、以上のような場合の損益相殺は許されないものと解すべく、原告らの取得した損害賠償請求額から、原告らの将来負担するかも知れない扶養義務を免れた利得額を控除すべきではないから、被告らの所論は採用しない。
五よつて、被告らは各自、原告らに対し前記の各金員およびこれらに対する本件不法行為の発生後であり、かつ本件損害発生の後である昭和四二年六月一八日(本訴状送達の翌日)以降完済まで民法所定五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告の本請求は、右の限度で認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。(安田 実)